理解するということ。

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ひとつの事象があるとする。それは何でもいい。例えばりんごが落ちたとする。

ニュートンはその事象から万有引力の法則を導き出した。とても素晴らしい事である。反面、りんごが落ちることが当たり前と認識し、疑問にも思わなかった多数の人間もいる。つまり何が言いたいかって言うと、なにかしらの事象は多角的に捉えると様々な見方があるっていうこと。

 

例えば、取引先の人間に勧めた商品に関してたいそうお気に召して頂いたとする。

取引先の方が「素晴らしい商品なので帰社次第検討します」とおっしゃって退席された。早速上司にその旨を報告したが、上司はあまり喜んだ表情ではなかった。

 

なぜだろう。

 

それは上司は経験則からそれが成約に至る確立を50%とさえみなしていないからだろう。担当者がとても耳触りのよい言葉を発しているにもかかわらず、だ。

 

紐解いていこう。

 

もし、ものすごく気になる商品であれば取引先の担当者はその場で上長なり、決定権のある人間に相談しないだろうか。ビジネスとは時間がかかりそうであるが、本当に価値のあるもの(圧倒的に相場より安いなど著しく利益享受の幅の大きいもの)に関してはスピーディに事が進む。

 

自分の視点で見れば成約に至りそうな気がするが、上司から見ると成約に至るか疑問が残る。また、担当者がその時本当に気に入っているのか答えは分からないが、スピード感は遅いのは事実。こういう対応がその会社の社風なのかも分からない。

 

だからこそ、目に見えるものだけを信じるだけでなく、裏側にも目を向けたいものである。そうしなければ対策や対応が後手後手にまわり、相手にイニシアチブを握られ続けるだろうから。

 

まとめ

事実は捉える人間によって意味が変わる。

様々な登場人物の立場も加味して考える必要がある。

 

プライベートでもこのスタンスを崩さない奴は偏屈って言われるから気をつけな!

 

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